★ひまという名の、豊かな時間

忙しさと暇の捉え方について、最近よく考えることがあります
暇=豊かな時間。
そんなふうに感じる瞬間が増えてきました。
忙しいから良いわけではないし、忙しいから充実しているとも、満たされているとも、ましてや豊かだとも言えないのではないかと思うのです。
もちろん、暇がいいわけでもありません。
暇を「怠けている」「自分は何もできない人間だ」「価値がない」と結びつけてしまう人もいるかもしれません。
でも、忙しいことが人間的に価値があるわけでもなく、暇なことが自分の価値を下げるわけでもない。
世の中的に言う“忙しさ”で、自己価値を測ることなんて本当はできないのだと思います。
暇とは、時間に余裕があるということです。
外から見たら、暇そう、やることがなさそうに見えることは、一見ネガティブに捉えられるかもしれませんが、
逆に言えば、その人は外側に振り回されている時間が少ないということでもあります。
心に余裕があり、自分と向き合う時間が多いということは、それだけで、とても心が豊かな状態なのではないでしょうか。

忙しさにいつも追われていると、考える隙間も、本来誰もが持っている「感じる」という力も、だんだん使えなくなってしまいます。
自分の本心や心の声も、聞こえにくくなります。
目の前の「やらなければならないこと」にのめり込みすぎると、仕事はどんどん処理されていく一方で、本当にやりたいことや、心がワクワクすることに気づけないまま、毎日が過ぎていってしまうのかもしれません。
忙しさを感じながら目の前のやるべきことをこなすことで、
「やった気」になれても、
それが魂の目的とずれていることだとしたら、心からの満足は得られないのではないでしょうか。
忙しさの中に、どこか安心感のようなものを見出している人もいるのかもしれません。
忙しいから、やることが多いから、今は考える余裕がない――
そうした言葉の奥には、「自分と向き合う」という少し勇気のいる時間を、無意識のうちに後回しにしている気配を感じることもあります。
与えられた役割や、やらなければならないことをこなしている間は、立ち止まらずにいられる。
考えずに済む、という側面も、確かにあるのかもしれません。
ふと、その人の内側にある本心が感じ取れることもあります。
スケジュール帳が埋まっていることで、安心していたとしたら…。
「忙しい」「やらなければいけない」というのは思い込みだとしたら…。

時代は、確実に変化しています。
AI化が進み、今まで人間が忙しくやっていた仕事を、やる必要がなくなる時代が来るかもしれません。
そのとき本当に大事になるのは、
「やりたいと思うこと」があることなのだと思います。
それが、自分の人生を豊かにしてくれる軸になるのではないでしょうか。
時は金なり、という言葉がありますが、時間があるということは、最大の恵みであり、最大の価値でもあります。
もしその忙しさがネガティブな意味ではなく、自分の魂の目的を叶えるためだとしたら…
それは、「忙しい=急く・焦る・追われる」という感覚ではなく、喜びに近いものになるのだと思います。
ひまな時間がたくさんあるからこそ、その時間を、やりたいこと、楽しいこと、未来の夢や希望に向かうために必要な、今やるべきことに費やすことができる。
好きなこと、楽しいことをしていると、人はたとえ忙しくても、それをネガティブな忙しさとは捉えません。
夢中で没頭している、その忙しい時間は、充実した心豊かな時間となります。
忙しさという感覚は、その内容や捉え方ひとつで、大きく変わります。

忙しさの中にいるときほど、ほんの少し立ち止まって、「私は、今どんな時間を生きているだろう」と、そっと自分に問いかけてみてもいいのかもしれません。
追われて焦る忙しさ、やらなければいけないという思い込みからくる忙しさを、物理的にも精神的にも少しずつ手放して。
「ひま」という言葉に対する恐れを、「豊かさ」と捉え直して。
本当に心が満たされることに使うための“忙しい時間”を、心ゆくまで味わってみてはいかがでしょうか。

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