「私は、私を生きていた」
ここ数年、自分の考え方や価値観が、静かに、でも確実に変わってきました。
何かを「変えよう」と決めたわけでも、
前向きになろうと努力したわけでもありません。
むしろ、衝撃的な出来事や、
心が大きく揺れる経験をいくつか通る中で、
少しずつ、少しずつ、
「もう昔の自分には戻れないな」と感じるようになっていきました。
そして最近、
ふとした対話の中で、自分の口から自然に出てきた言葉があります。
「私はようやく、自分を受け入れられるようになった気がする」
その瞬間、
ああ、これは本音なんだな、と自分でわかりました。
思い返してみると、
私はずっと、人のことは責めないのに、
自分のことだけは、なかなか受け入れられずにいました。
もっとちゃんとしなければ。
もっと役に立たなければ。
もっと何かにならなければ。
そんなふうに、
自分にだけ厳しい目を向け続けていたように思います。
でも今は、
ようやく、こう感じられるようになりました。
私はもう、私を生きている。
このままでよかったのだ、と。
これは、前向きに言い聞かせている言葉というより、
長い時間をかけて、少しずつ腑に落ちてきた感覚に近いものです。
私は、人と話すときに、あまり自分を作らないタイプです。
相手への敬意や、わかりやすい言葉を選ぶことはありますが、相手によって自分を変えて話す、ということは、ほとんどありません。
あとから振り返ると、
人との何気ない会話の中に、
いつも自分の本音がそのまま表れていたように思います。
実際、ここ最近、
何人かの人に、同じことを話している自分に気づきました。
「自分を受け入れられるようになったんです」
おそらくそれは、
誰かに伝えたかったというより、
自分自身に何度も確かめていた言葉だったのだと思います。
また、少し前に、ある人から印象に残る話を聞きました。
「最近、価値観や人生の楽しみ方が変わったのは、あなたの影響かも」と。
さらに、その人の変化は、周りの人たちにも、静かに伝わっていた、という話でした。
その話を聞いたとき、胸の奥がじんわりと温かくなって、
自分を受け入れたことで、私らしさの光は、こんなふうに人に伝わっていくのかもしれない、と思いました。

何かを伝えようとしたわけでも、
生き方を示したわけでもなく、
ただ自分らしく在ることが、
誰かの、何かのきっかけになり、
まるで光のように、周りに伝わっていく。
もしそれが本当なら、
本質の自分で生きることが、
私に与えられた役目かもしれない…
そう思いました。
占星術に興味があるので、星の流れを見ると、この数年の自分の変化と、不思議と重なって見えました。
今、冥王星・天王星・海王星といった、いわゆる「社会天体」と呼ばれる星たちが、私の人生のとても大切なポイントに重なりやすい時期に入っています。
これらの星は動きがとても遅く、
時代の価値観そのものを揺り動かすような、大きな変化を象徴すると言われています。
また、心の奥深くに触れたり、
「私はこういう人」という自己像を溶かしたり、人生の軸を、静かに切り替えていくような作用もあるそうです。
占星術では、
⚫︎冥王星が「月(感情・無意識)」に重なるとき
→ 心の奥深くにあった価値観や感情が、いったん壊れて、本音ベースに作り直されるような体験が起きやすい
⚫︎海王星が「アセンダント(自己像)」に近づくとき
→ これまでの肩書きや役割、「私はこういう人」という自己イメージが溶けて、本質的な生き方へと引き戻される感覚が強まる
⚫︎天王星が「太陽(人生の軸・目的)」を通過するとき
→ 価値観や生き方が、ある日を境にガラッと変わってしまうような、人生の方向転換が起きやすい
そんなふうに解釈されます。
そんな星の流れと重なるように、
私自身も、これまで大切にしてきた価値観が、しっくりこなくなったり、
昔の自分に戻れない感覚が強くなったり、
「本質で生きたい」という思いが、
自然と湧いてくるのを感じてきました。
もし今、理由はよくわからないけれど、
・生き方や考え方が大きく変わってきた
・昔の自分に戻れない感じがする
・何者かになろうとするのがしんどくなった
そんな感覚があるなら、それはもしかしたら、何かが壊れているサインではなく、
星のエネルギーを受けて、
「本質に戻る流れ」
に入っているサインなのかもしれません。
これまでの私は、
もっと成長しなければ、
もっと意味のある存在にならなければ、
何者かにならなければ、
そうやって自分を追い立ててきましたが、
それはもう必要ないことに気づきました。
今は、本質で生きると心が決めています。
いつでも、そういう生き方を選択しているのを、確かに感じます。
競争して結果を求めたり、
正しさを追求したり、
何者かになろうとすることよりも、
自分が心地よいかどうか、
自分の感覚に正直でいられるかどうか、
無理をしていないかどうか、
そうしたことのほうが、
ずっと大切になりました。
私はもう、ちゃんと私を生きていた。
このままでいい。
そう思えた今、
ようやく安心して、自分らしく生きていけそうな気がしています。

《おわりに》
私はこれからも、大きな理想や正義を掲げて、何かを変えようとすることはあまりしないと思います。
ただ、自分らしく今を生き、その在り方が、どこかで誰かの小さな気づきにつながることがあるなら、それはとても幸せです。
私はもう、私を生きていた。
そんなふうに、ふと感じられる瞬間がありました。
少し肩の力を抜いて、
「今」という時間を
大切に過ごしていきたいと思います。
🍃
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
ここに書いた言葉が、どこかでそっと寄り添えたなら嬉しいです。
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