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☆自分の才能の見つけ方

 

過去の記録や思い出、過去を知っている人(親、友人)と話すことで、
眠っていた記憶、忘れていた自分の才能を思い出すことができる

 

多くの人は日々起きる目の前の出来事に一生懸命取り組み、毎日を生きています。

でもふっとした時に、「自分の人生って何なんだろう…」「このままでいいのかな…」と思うことがありませんか。


なぜそんなことを思うかというと、すべての人は自分の才能・自分の中に眠る無限の力を見つけ出し、それを活かしたいと思っているからです。


”自分を知りたい”と思うのは、自分の中にすでにあるその能力を最大限に使ってこの世界を生きることが、魂の目的だということを、心の奥底で知っているからです。


本当の自分という存在に気づき、自分の中にあるその能力を使って生きることが、すべての人にとって共通の課題だからです。

 

自分の才能を見つけるために、本を読んだり、自己啓発セミナーやスピリチュアルなことを学んだりする方も多いと思います。

 

様々な学びを通して本当の自分、魂とつながることができる場合もあります。

 

でも色々なことに取り組んでも、なかなか本当の才能を見つけ出すことができないという方は、こんな方法を試してみてはいかがでしょうか。

 

・小さい頃の思い出の物・記録・作品などに触れて、その頃の自分の気持ちを思い出してみる

・親や友達と自分の幼い頃(若い頃)の懐かしい話をしてみる

 

人は小さい頃から様々な場面で自分の中にある才能や能力を使って生きてきています。

例えば、

  • 少し練習しただけですぐに上達したこと
  • 小さい頃からずっと得意だと思っていること
  • 無理なくずっとやり続けられていたこと
  • 時間を忘れるくらい没頭してやっていたこと

これらはすべて、自分の中にもともとある能力・才能を使っています。

 

本当はだれもがその魂の能力を使って生きていたはずなのに、幼い頃に親や周りの人間からそれを否定されたり止められてしまったことで、いつのまにかその能力を使うことをやめてしまい、自分の記憶の中から消し去ってしまったのかもしれません。


でもどんなに抑えても、閉じ込めても、自分の中にある才能は消えることはありません。


だから、記憶に残っていないようなことでも、昔の自分を知る人と話したり、昔の思い出の物などを見返しているうちに、忘れていた記憶がよみがえってくることがあります。

 

「小さい頃、こんなことが好きだった」
「昔、これをやっていたときすごく楽しかった」
「あの頃あんなに夢中になっていたけど、いつの間にかやめてしまった」
「昔、こんなことをやっていて、周りの人から褒められた」
「昔から得意で、形はちがうけど今も似たようなことをやっている」

 

思い浮かぶこと、それこそが自分の中にある才能です。

 

でも、いくら自分の才能を見つけたいと思っていても、人と比べて優れている、劣っているという基準で判断していたら、なかなかその才能に気づき認めることはできません。


「私よりもっとすごい人はたくさんいるから…」
「私なんてそれほどでもない…」

そんなふうに思ってしまったら、せっかくの自分の才能を自ら閉じ込めてしまうことになります。

 

才能を見つけるためには

・自分の中の才能に対する思い込みを捨てる

・自分の中には、生まれた時に魂に刻まれてきた才能・能力があるということを信じる

それが何よりも大切です。

 

自分の才能は、自分とつながりのある人や記録などをあらためて見つめなおしてみることで、案外簡単に見つかるかもしれません。


自分の才能がなかなか見つからないと感じている方は、ぜひ身近なところに目を向けてみてはいかがでしょうか。

 

 

 

《ワタシの経験談》
すでに大人になった我が家の子供たち。子育て中は、その時その時で自分なりに一生懸命考えて子供達に向き合ってきましたが、親として未熟だったため、家庭の中で経験したことのトラウマ、がまんしてきたこと、納得がいかないのに無理やり親から押し付けらたこと、など様々な思いを抱えて成長した子もいるかもしれません。

 

もしかして使っていた才能・個性を抑えてしまうような接し方をしてしまったかもしれません。


過去は変えられないので、もしそんなふうに子供達が感じてしまっていたなら、少しだけ申し訳なさもあります。


でもそんなワタシが、唯一がずっと続けていること、それは”記録”


子供達が生まれてから今までどんなことがあったか、その時ワタシはどう思って、子供達はどんな反応をしたか、どんな会話をしていたか、子供達は何に夢中になっていて、その頃どんなことが好きだったか、どんなときにワタシや兄弟に対して抵抗したか…など、鮮明に記録してあります。(子育てを終えた今もまだ継続中)


書くことが好きで、書くことで心を癒してきました。

義務感も強制的でもなく、ただただ心の声を言葉に綴ってきました。

 

成長の記録を記した育児日記が、気づいてみたら自叙伝をつくることができるほどの膨大な記録になっていました。


何のために続けているのか…自己満足のためか…ずっと考えていました。


ある時、大人になった子供たちがもしかしたらこれから先、道に迷ったり本当の自分の力、才能を知りたいと思ったときにこの記録が役に立つ日がくるかもしれない…と思うようになりました。


記録には母(ワタシ)が妊娠中からどんなことを感じて、どんな思いで出産し、どんなことを感じながら子供達を育ててきたかを記しています。そして、生まれて一ヶ月、一年、十年たった日の様子…家族の中で起きた出来事や、友人との関係性、学校でのこと。その時々の子供たちの様子や言葉。もちろんワタシが見て感じたことですが、記憶には残っていないような数多くの出来事について書かれてあります。


もちろんそんなもの必要なく、自らの力で自らの魂の目的を見つけ出して自分らしく生きることができればそれが一番ですが、もし何かに迷ったり立ち止まったときは、これらの記録が魂の目的を見つけるため、本当の自分を知るための大きなきっかけになるかもしれないと思い、今だにペンを持つ手は止まりません。

 

または、子供達が親になったときに自分がどんなふうに育てられてきたかを知りたくなった時に役に立つかもしれません。


ワタシが息を吸うようにあたりまえに続けてきた《記録》が、いつの日か大きな意味につながるかもしれないので、必要とされるときのために、そして、ワタシが生きてきた証として、これからも記録を続けていきたいと思います。

 

お読みいただきありがとうございます
あなたとのご縁に感謝します⭐️

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